8/18(削除日記より)

ほんの数時間前、北九州空港に着いた。

コンタクトの洗浄液を買うためにドラッグストアに入った。

私が現在住んでいるところにはこの規模のドラッグストアがないことに、匂いで気づいた。

でかいドラッグストアには独特の匂いがある。

 

実家は築40?50?年の木造二階建てでトヨタカローラにぴったりサイズのカーポートと小さな庭がある。数年前までは、家の裏の空き地の主が好きに使っていいと言ってくれていたため、畑として使っていた。

ライトな自給自足が出来るくらい季節ごとに野菜が採れ、ご近所に配ったりもしていた。

畑のことを思い出したのは、先ほど空港へ車で迎えに来てくれた母が、食中毒になった話をしたからだ。

去年の日記に書いたのだが、祖母は認知症だ。母が食中毒になったのは、祖母が今はなき畑と、うちの敷地の間にあるスイセンをニラだと思って料理に入れたからである。

 

畑には、八朔の木があった。

6歳でこの家に引っ越してきたとき、その八朔は子どもにはとてもじゃないが食べられない酸っぱさ、苦さだった。

なんと八朔泥棒が畑に侵入し数個奪っていったことがあったのだが、そいつも二度と来なかった。ちなみに泥棒が置いていった包丁は、我が家で1番使いやすい包丁として長年愛用されている。

そんな八朔だったが、毎年たくさん実がなるので一応家族で食べてみる。

私が小学生の頃は、あまりに酸っぱいので魚に添えられたり、主に酢の代替として使われていた。

そういうことが数年続いたが、私が中学に入ったあたりで時々、めちゃくちゃ美味しい個体が収穫されるようになった。

高校に入るころには明らかに美味さの平均値が上がり、おやつに平気で2個くらいは剥いて食べていた。シーズンの終わりごろは少し寂しくなったりもした。

大学に入っても美味しさには磨きがかかる一方だった。一人暮らしの家に母が来る時持ってきてくれることがあったので、「ムッキーちゃん」という厚い柑橘の皮を剥く専用の道具を持っていた。

しかし、大学2年の夏ごろ、畑の主が土地を売りに出すと言い出した。700万だった。

畑は、若い夫婦の住む白い、今風の家になった。

畑の土地が売りに出された時から、私が八朔の木のことばかり言うので、母と祖父が何とか小さな庭への移植を試みたが、うまくいかなかった。

新しい家が建った当時はかなり落ち込んだが、ある時ふと思いたってgoogleマップで実家を検索すると、

 

八朔がなっているころの畑を見られる!

 

私はいつまでたっても心が大人になれないので、まだ全然「あの土地誰も買わなかったらずっとうちのだったじゃん」と思っており、ここから良い話には持っていけないが、

確かにそんな木があった事実が私の舌とGoogleマップには残っている。