メンタルの話

なんか惜しい人生を送ってきた。

センターではいちばん得意な英語、しかも最後の最後大問6でマークミスし30数点落とした。稀に見る簡単な年で、たった1問の解き忘れが無かったら初の9割だった。

何とか大学に入って一人暮らしが始まっても、風呂にお湯を張ったまま寝る、洗濯機を回し終わって丸一日放置、バイト先のヴィレヴァンでは絵はかけてもレジのミスが異様に多くて毎日注意されるなどなどあげ始めるといくらでも出てくる。

思えば昔からおっちょこちょいだと親から言われていた。

 

その日は企業の採用面接の日だった。まず私の目測が甘く予定した高速バスに乗れなかった。次の高速バスでは面接開始時間の5分前に着く。連絡しなくてはと思った。1本あとの高速バスに乗り、ポートフォリオを忘れたのに気づいた。

 

これは結構やばい事なのだが、私自身も自分のミスに慣れているのでうわ〜とは思いつつ、とりあえず乗っちゃったし、行こうと自分のメンタルを何とかしようと努力することにした。

が、よく考えたら面接も何も、何を話すかまっったく考えていない現状に気がつく。

 

業界のこととか知らないし、そもそも営業やりたくないし、会社の人は制服好きというより営業の成果が目に見えるのが嬉しいとか言ってたし、私はただ制服フェチで正直昨今の機能性重視の制服には疑問を感じちゃってるし、これは面接の場でこの人たちの営業の努力をうっかり真っ向から否定しかねない。

私はクソ重いくせに首元は寒いわ家では洗えないわ雨降ったらぐしゃぐしゃになるわで無駄に手のかかる、お茶目な制服が好きだ。

 

半泣きになりつつ天神に着いた。就活カバンに入らなかった荷物を天神のロッカーに入れ本気で走ってもギリ路線バスに間に合いそうにないぐらいの時間だった。まだ高速バスの遅れも連絡しておらず、どうせ遅れるし連絡して1本あとに乗ろう…ともう既に疲れている。

ここから路線バスに40分。到着して何も考えてない上に学生時代何したかを説明する物もない面接、その後3時間弱のテスト。

ロッカーの扉を開けた所で脳内の何かがプツッと切れた。私は荷物を入れるのをやめトイレに駆け込んだ。なんか無理だ、ダメだ行けるビジョンが何も見えない。これ以上1歩も会社に近づけない。トイレの個室で泣きながらLINEの通知を見たら、母から「スッキリで山口イチロー出てるよ」と来ていた。そこで選考辞退の意思が固まった。

そこからは光の速さだった。就活のメールはひとつ書くのに20分近くかかるのに、丁重に謝罪を述べた選考辞退のメールは3分で書けた。

 

そのまま佐賀へ帰っても良かったが、疲れすぎて今すぐ座りたくて、サンマルクに入った。西鉄天神駅から降りてくる大量の「社会の一員」が見える。今回も私はあそこに入りそびれた。突出した才能のない私はあそこに加わらないとどうやら暮らせなさそうだ。

 

この頃(今も)よくTwitterに流れてきていたADHDあるあるが私はあまりにも当てはまった。公式チェックシートみたいなのをやったら、どのタイプのシートでも「病院で診てもらいましょう」みたいなかんじになるので、ぼんやりそうなのかなあとは思っていた。

 

サンマルク西鉄天神駅を見下ろしている時、病院に行こうと思った。ADHDのような症状は他にも多くあって困るし、そうじゃなくても多分私の今のメンタルは一人でどうこうできるアレじゃねえなと思った。